人は、なぜ、旅立つのか?

世間はテポドンで多分、大騒ぎなこの時期。 何を呑気な!かもしれないけれど、3日前になる(既に…)サッカーの中田選手の引退発表で語られた、 『人生は旅、旅は人生そのもの』 という概念が気になって仕方がないのです。


実は私も、かるーく、「人生は旅よねん!」という風に思い、日頃熱く?語っている一人であります。 

私にとっては、大好きな「旅をすること」を止めない、止めなくても良い、「免罪符的」使い方をしている感もある、この言葉(^^ゞ 

今まで、何気にポロッと、口からこぼれ出ていただけなのですが…。


発表された声明文は、「世界の中田選手」の10年に及ぶ軌跡を振り返り、惜別の思いと、新たな旅立ちへの覚悟の思いが込められた渾身の力作だったと思います。 

その声明文の中で、タイトルとして使われ、テレビで「タイトルでござります」風にドーンと、充実した文章と共に、瞬く間に全国を駆け巡り、クローズアップされると、なぜか、もの凄く重~い、深い言葉のように思えてきました。


なぜ、人は旅をするのか?

なぜ、安住の地から、わざわざ旅立とうとするのか?

なぜ、旅は人生だと感じるのか?




いつもの、私の「なぜ、なぜ、な~ぜ?病」がムクムクと湧き上がってきます。


旅をすることは、楽しいけれども、楽しいことばかりではなく、準備・計画・実行という、やや面倒な手順も伴います。 

旅行に出たら出たで、ハプニングの1つや2つは起こり得るので、的確に判断し、対処する必要があります。
(団体やツアーじゃなくて、特に個人旅行の場合ですが) 

ようするに、多大な情熱と行動力が必要なわけです。

そこまでして、なぜ旅をするんだろう?


我ながら、不思議に思えてきます。


うん?なるほど!  まるで人生そのものなのかも!


準備・計画・実行っていうのは、まるで人生を生きていくための、それらと置き換えられ、人生には予定外の出来事もあり、上手に対処しながら、歩みを進める必要があります。

そうしながら、

1.出会う全ての人からは、彼らの言動の全てから何かを学んだり  2.出会うもの、見るもの聞くもの全てを、体内に経験・見聞という形で蓄積し  3.目的地から目的地へと旅を進め 4.時に予定外の地へ立ち寄ったり、寄り道したりしながら 5.迷ったり、つまづいたりなんかもしながら  6.いつもと違う感性を憶える自分にも出会いながら  7.他民族・他習慣・多言語に触れることにより新しい自分の価値基準・判断基準を確立しながら新しい自分に出会う旅を続け


「死」という「新たな生」への旅立ちを迎えるまで、

終わり無き旅路を行くようなもの


だから、


『人生は旅であり、旅をするということは、人生そのもの』



思い浮かべる言葉:

「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
                           ー徳川家康公遺訓


「人生は百代の過客にして、行きかう人もまた旅人なり」
                           -松尾芭蕉



「その昔、イギリスでは、学問を終え、大学を卒業する際、最低1~2年ぐらいは、世界を旅して、見聞を広めるところまでが含まれている。 言い換えれば、単位習得済みでペーパー上は卒業できていても、旅をしなければ正式に卒業したとは言わない!」と教わったことがあります。

飛び級でケンブリッジ大学を卒業した、見るからに賢そうというか、博識そうな、議論好きイギリス人の知人が、その大英帝国の伝統を律儀に守り、『卒業前の見聞広め旅?』に出ていた頃に教わったので、間違いないとは思うのですが…私が覚えマチガイしている可能性も無きにしもあらず…ってことは、きっちり、申告しておきます。


『人生を旅と例える概念』は、

当然とでも言うべきか、昔から伝承されているものなんですよね…(遠い目)


唯一の、人生の旅と、観光の旅の違いは、

『一端、人生の旅を始めたら、寄り道はできても…自分の意思で勝手に、止めることはできないの!』 



だから余計に、非常に重みのある言葉に響く のかもしれません。


あー、なんだか、スッとしました。 今夜はゆっくり眠れます。 
第8号のテポドンさえ、飛んでこなければ! おやすみなさい。

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